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ゆった〜り山行「富士山麓一合目から五合目トレッキング」 2019.9.28(土) 日帰り |
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《吉田口馬返し(1430m)〜吉田口五合目佐藤小屋(2230m)〜スバルライン五合目(2304m)》 |
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朝、終日曇天の天気予報を聞いて、富士山が姿を見せてくれるかどうか心配しながら登山口に向かったが、笠雲の富士山の姿を見て、とりあえず一安心。 |
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富士山吉田口を守護する北口本宮冨士浅間神社に立ち寄って安全登山を祈願。社殿・本殿等の主要な建物は国重要文化財の創建1200年超の荘厳な神社だ。 |
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浅間神社から約8km先の馬返しまで車でアクセス。ストレッチ体操を済ませてゲ−トを通過すると、登山口を示す神の使いの猿像に守られた鳥居を潜って登山開始。 |
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その先の広場には「富士山祓所」の大きな石碑と往時の富士講の石碑群に出会う。明治以前は立木がなく、この地から富士山を仰いで禊ぎをしたという。 |
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約20分登ると、朽ちかけた鈴原社が建つ一合目に到着。現存するこの建物は1840年代に建築されたもので、かって大日如来が祀られていたそうな。 |
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雨水で道がえぐられないよう、登山道の要所要所に、写真のような、雨水を地下にしみ込ませるための浸透枡が設けられている。江戸時代にも存在したのだろうか? |
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二合目の富士御室浅間神社旧本宮跡。本殿は昭和47年に河口湖町勝山の里宮に移された。江戸時代、女性はこの神社までで、これより先は女人禁制だったという。 |
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CLが「チンパンジ−の木」と名付けた奇樹を観ながら三合目直下の登山道をゆっくり登る。この後、中高年中心の登山グル-プが続々登ってきて一気に賑やかに。 |
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往時から昼食処として賑わった三合目。北側が開け、御坂山塊の先に、瑞牆山・金峰山・国師岳・甲武信岳(左から)の奥秩父の山並みを眺めながら昼食を楽しんだ。 |
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標高1842mの三合目を過ぎると、アカマツ、シラビソ、カラマツ、トウヒ、ダケカンバ等の原生林の中に続く登山道の傾斜は段々きつくなり、時折立ち止まって息を整えた。 |
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四合五勺には富士講の文字が刻まれた御座石浅間跡と井上小屋の建物が残る。戦国時代以前は、女性もここまでは登れ、この先からが女人禁制だったという。 |
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かって4軒の山小屋があった旧五合目付近。そのうちの1軒は、入山料(山役銭)として、一人122文を徴収する中宮役場があったという。 |
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馬返しから4時間を要して、標高2230mの吉田口五合目佐藤小屋に到着。小雨がちらつく時間もあったが、すぐにやみ、吉田口八合目小屋辺りまで目視できた。 |
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登山道が頂上に延びる吉田口五合目登山口付近で富士山をバックに全員集合。9月11日には吉田口の六合目以上の山小屋は閉り、夏道コ−スも閉鎖されたようだ。 |
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富士山を代表する固有種「フジアザミ」の群落を見付けてラッキィ−!日本一高い富士山には、やはり日本一ビッグなフジアザミがよく似合う。 |
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ゴ−ルのスバルライン五合目に向かう途中、火山礫の斜面は、まだらながらも草紅葉に染まっていた。多分イタドリやオンタデの葉が赤や黄色に色づいているようだ。 |
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スバルライン五合目のパワ−スポット「小御岳神社」に参拝して、約5時間のトレッキングは無事修了。それにしてもこの界隈は外国人観光客で大賑わいだ。 |
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スバルライン五合目駐車場から仰ぎ見る富士山。午後3時になっても、まだ八合目付近まで視界が開けている。天気が崩れずに一日楽しませてくれた富士山に感謝! |
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富士山吉田口登山道馬返し(標高1400m)〜五合目(標高2300m)で出会った秋の花々 |
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