丹沢トレッキングクラブ

丹沢トレッキングクラブ”Tanzawa Trekking Club;TTC”は神奈川県厚木市を本拠地とし、神奈川県央地区の山好き成年男女が集う地域山岳同好会です。

活動

◆丹沢主脈(塔ノ岳・蛭ヶ岳・焼山)縦走(2016.2.27(土)-28(日);1泊2日)の写真アルバム、山行記録、山行計画書を掲載。

写真アルバム 山行記録 山行計画書

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2016.2.27(土)早朝、メンバ10名が小田急線渋沢駅前に集合。路線バスに乗って、表丹沢登山口の大倉へ。冬晴れの爽やかな空のもと、大倉尾根の急坂を約4時間ひたすら登り、標高1491mの塔ノ岳山頂に到着し、ランチタイムとする。南斜面で日当たりのよい大倉尾根上の登山道にほとんど積雪はなかったが、大勢の登山者が集う頂上にはうっすらと積雪が見られた。塔ノ岳の北斜面を下り、木々の間から富士山や丹沢の山並みを望みながら、笹原の中にアップダウンが続く気持ちの良い縦走路を丹沢山、不動峰、棚沢ノ頭と越え、塔ノ岳から4時間弱で、本日の目的地標高1673mの蛭ヶ岳頂上に到着。本コ-ス一番の難所鬼ヶ岩のクサリ場にもほとんど積雪はなく、わずかに残る積雪もベタ雪。南斜面は土が露出してドロドロ状態。結局アイゼンの出番はなかった。この日の蛭ヶ岳山荘の宿泊客は約25人。寝室に暖房はなく、夜はかなり冷えて寒かった。日が暮れると眼下に、相模原、横浜、東京、小田原や平塚の街明かりが煌めき、その幻想的な景観は印象的だ。翌朝、朝日を浴びて赤く染まる富士山はじめ、360度の大展望を楽しんでから、下山を開始。地蔵平、姫次、黍殻山避難小屋を経て、丹沢主脈最後のピ-ク標高1059mの焼山で昼食休憩。さらに約1.5時間を要して焼山登山口に下山。かくして2日間にわたる丹沢主脈縦走は無事終了した。昨年の同時期にも計画した本山行。昨年は例年に比べて積雪が多く、トレ-スも薄いことから、実施を断念して今年に延期した。ところが、今年は打って変わっての暖冬のうえ、2月中旬ごろに暖かい日が続いて、麓から仰ぎみる蛭ヶ岳の雪化粧は見る見る剥げ落ちてしまった。案の定、最も積雪が多いこの時期の丹沢主脈に今年は雪がほとんどなく、雪山を期待しての縦走であったが、あまりの積雪の少なさに少々残念な思いを残した。

◆松田河津桜・最明寺公園ハイキング(2016.3.05(土);日帰り)の写真アルバム、実施記録、実施計画書を掲載。

写真アルバム 実施記録 実施計画書

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2016.3.05(土)朝、メンバ15名が小田急線新松田駅前に集合。河津桜と菜の花畑を愛でながら西平畑公園に向かう。このところのポカポカ陽気で、南斜面の河津桜はすでに散りはじめていたが、西斜面はまだまだ見事に満開の花を咲かせていた。満開の河津桜と富士山のコラボが見られるはずの絶景スポットでは、春霞で富士山の姿はなく、少々残念な思い。北側の緩い高みの松田山丘陵を最明寺史跡公園まで辿り、昼食休憩。ここから松田山頂上に向かって山道を登り、最高点の標識を捜したが、見つけることができなかった。この先の東屋に下って一休み後、いくつもの沢を渡って、ふれあい動物村から田代橋に下山。路線バスで今朝歩きはじめた新松田駅に戻った。本日実施の累積標高差登り約620m/下り約440m、歩行距離約8km、所要時間約6時間のお花見&森林浴ハイキング。春霞の温かい陽気の中、河津桜の花々を愛で、早春の松田山丘陵の豊かな森を辿って、森林浴を十二分に堪能できた一日であった。

◆秩父四阿屋山山行(2016.2.21(日);日帰り)の写真アルバム、山行記録、山行計画書を掲載。

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2016.2.21(日)朝、メンバ13名がマイクロバスに乗車して厚木市を出発。関越道花園ICから小鹿野町に向かい、四阿屋山の登山口となる「道の駅両神温泉薬師の湯」から両神山登山口のある白井差に向かって県道367号線を約3.5km遡った堂上地区にあるセツブンソウ自生地で下車し、咲き始めたばかりのセツブンソウを鑑賞。県道をマイクロバスで大堤登山口まで戻り、ツツジ新道コースを四阿屋山頂上に向かった。ツツジ新道は、頂上まで標高差約420mのやせ尾根の登りで、途中3,4箇所の岩場があり、とくに最初の岩場は格段に難度が高いことから、ツツジ新道の入口には上級者向きの案内板が掲げられている。最初の岩場の核心部には、高度差6mほどのチムニ-状の垂直の岩場があり、ホールドやスタンスになる突起が少ないため、鎖につかまってなんとか登るしかない。ロープを持参しなかったので、スリングを5本つないで、上からメンバを安全確保し、ベテランメンバが上と下からアシストして、なんとか13人が無事にこの岩場を登り切るのに約40分を要した。登りついた四阿屋山の頂上は狭く、我々13人の他に4人パ-ティでほぼ満員だった。頂上からの眺望はよく、両神山や二子山を見渡すことができた。この時期、山頂付近は凍結していることが多いが、このところの温かさで、持参したアイゼンは使わずに済んだ。急峻な頂上から東に1時間ほど下ると、ロウバイ園とフクジュソウ園がある。ロウバイはすでに盛りを過ぎていたが、5000株あるというフクジュソウの花は今が盛りで、見事な群落が見られた。下山後、薬師の湯で汗を流してから帰路に着いた。
堂上セツブンソウ自生地 日本最大級のセツブンソウ自生地として知られ、地元小鹿野町が保護・管理にあたっている。5000m²の雑木林内に群生し、2月下旬から3月中旬になると、高さ約10cmの花茎の先に直径約2cmの5弁の白花を咲かせる。また、3月中旬になるとアズマイチゲも咲き、両花の競演が見られる。セツブンソウは、キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草で、関東以西の石灰岩地域の広葉樹林帯に自生するが、近年その数が激減し、環境省レットリスト準絶滅危惧種NTに指定されている。近隣の自生地として栃木市の「星野の里」が知られている。

◆秦野七福神と鶴亀巡りウォ-キング(2016.1.11(祝):日帰り)の写真アルバム、実施記録、実施計画書を掲載。

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正月の七福神寺社めぐりは、一昨年の相模七福神めぐりに続いて2度目。今年は、秦野市が5年ほど前から力を入れ始めた「南はだの村七福神と鶴亀巡り」。秦野市南部に点在する9つの寺社にお参りして、今年一年の健康と家内安全を祈願しつつ、七福神と親鶴・子鶴と亀を加えた10個の御朱印をいただくというもの。
2016.1.11(祝)朝、メンバ18名が秦野駅前に集合。あらかじめ入手しておいた「御朱印帳マップ」を受け取り、曹洞宗太岳院の福禄寿と亀の御朱印を手始めに、尾尻八幡神社/親鶴、西大竹嶽神社/小鶴、震生湖畔福寿弁財天、白笹稲荷/寿老人、天台宗西光寺/毘沙門天、御嶽神社/恵比寿、出雲大社相模分祠/大黒天、曹洞宗浄圓寺/布袋尊と、約6時間半・歩数約21000歩要して、10個のすべての御朱印をいただき、その御朱印帳マップを秦野駅前の観光センタ-に持参し、ご褒美として、宝船に乗った七福神の携帯ストラップをいただいた。終日高曇りの空模様であったが、渋沢丘陵からは、北に大山から三ノ塔、塔ノ岳、鍋割山、伊勢沢ノ頭から秦野峠と続く表丹沢の山並みを一望。南西には箱根神山右裾の大湧谷から盛ん立ち昇る噴煙。南には相模湾に浮かぶ伊豆大島と利島。南東には湘南の海岸線まで相模台地を埋め尽くす県央・湘南の市街地の先に浮かぶ江の島と三浦半島等々、360度の大パノラマを心行くまで楽しんだ。また、関東大震災で誕生した震生湖の自然の豊かさに感動し、市内の至る所に湧き出す豊富な丹沢湧水の多さに驚かされ、昼食には地元秦野で美味しいと評判の白笹うどんを味わうなど、心身ともに満ち足りた一日を過ごした。早速参加メンバから、来年も場所を変えて、七福神めぐりを実施してほしいとのリクエストが出された。

◆愛鷹山塊越前岳新年山行(2016.1.09(土);日帰り)の写真アルバム、山行記録、山行計画書を掲載。

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TTC恒例の新春初登山は、富士山近郊の山に新雪を踏んで登り、新たな気持ちで霊峰富士を拝し、安全登山と健やかな1年であるよう祈願すること。下山後にささやかな新年の宴を催して、今年の抱負などを語り合って、メンバ間の親睦を図ること。そして、今年の新春登山に選ばれ山は、愛鷹山塊の最高峰1504m越前岳である。
2016.1.9(土)朝、マイクロバスにメンバ14名が乗車。厚木ICから東名高速道を裾野ICまで順調に走り、R469号線須山愛鷹登山口を左折して、大沢林道に乗り入れ、約1.2km先の山神社駐車場に、厚木を出発して1時間少々で到着。準備体操をいつもより入念に済ませてから登山開始。約50分を要して稜線に登り着き、傾斜が緩くなった稜線を越前岳頂上に向かって、さらに35分進むと、富士山の展望台「富士見台」に到着。冬晴れの青空をバックに、富士山の裾野から頂上まで、その偉大な姿に対面できると期待していたが、すでに山頂部を残して、雲に包まれてしまっていた。ここからさらに1時間15分を要して、11:00amに越前岳頂上に登りついた時には、すでに富士山は雲に隠れて姿をせず、代わりに南アルプスの銀嶺が雲間から姿を見せていたことが、せめてもの慰めだった。頂上で急いで昼食を済ませ、早々に北斜面を十里木に下山した。この時期の越前岳には、例年、数10cmの積雪があり、それなりの雪山登山が楽しめるはずだったのだが、暖冬の今冬、越前岳に雪はなく、富士山の雪化粧も申し訳程度に少ない。また、今日のような冬晴れの好天の日であっても、気温が上昇する日中になると、北西から吹き付ける季節風が、富士山に行く手を遮られて上昇気流となり、やがて、富士山の風下にあたる須走や表富士側に大量の雲を発生させて、富士山を雲に隠してしまうことが多い。この時期、秀麗な富士山を眺めるには、やはり風上の山梨側から眺める方が良いようだ。帰路、御胎内温泉に立ち寄って、冷えた身体を十分温めてから帰路に着いた。厚木に帰着後、新年会に駆け付けたメンバを加えた総勢17名のメンバで、新年会を催した。

◆厚木旧依知村歴史散策(2015.12.23(祝);日帰り)の写真アルバム、実施記録、実施計画書を掲載。

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2015.12.23(祝)朝、メンバ13名が厚木バスセンタに集合。路線バスに乗車し、依知神社前バス停で下車。本日のウォ-キングの目的は、厚木旧依知村(上依知、猿ヶ島、山際、関口、中依知、下依知、金田の旧依知郷7ヶ村)を南北3里にわたって縦貫する旧八王子道沿いに点在する歴史上重要な史跡を訪ね歩き、郷土の歴史に触れ、学ぶことにある。具体的には、上依知「依知神社」をスタ-トし、旧八王子道を北から南に約12km歩き、旧道沿いに点在する道祖神や庚申塚を探し当て、浮島弁天社、日枝神社、妙伝寺、瑠璃光寺、宝泉寺、本立寺、熊野神社、長福寺、山際神社、大信寺、蓮生寺、安龍寺、浅間神社、広徳寺、妙純寺等々の神社仏閣を訪ね歩き、本企画を立案した郷土歴史に大変造詣が深いリーダ兼ガイドから、各史跡にまつわる逸話や史実について盛り沢山の興味深い話を聞きながら、6時間半の歴史散策を楽しんだ。ハイライトは、日蓮上人が鎌倉から佐渡に流される途中に、旧依知村に28日間滞在し、この間にこの地の寺で日蓮上人が引き起こしたとされる「星下ろしの奇端」の霊蹟の伝承があるとされる3つの寺を訪ねて、3寺に伝承する霊蹟の信ぴょう性について、各メンバが比較・考察して、楽しんだことであろうか。
日蓮上人の星下り奇端 鎌倉幕府に捕えられた日蓮が、文永8年(1271年)9月12日、江の島近くの龍ノ口刑場で、まさに斬首されようとした時、急に雷鳴が轟いて、その刀に雷が落ちて刀が折れ、一命をとりとめた(龍口ノ法難)。翌9月13日、日蓮上人の身柄は依知郷の豪族、本間六郎佐左衛門に預けられた。その夜、日蓮は十三夜の名月が煌々と射す庭に下り立ち、「法華経には、この教えを信じ修業するものは必ず守られると書かれているのに、なぜ私には苦難が続くのか、月よ、私の言ったことに答えるならば、何か不思議を現したまえ」と叫ぶと、空はたちまちかき曇って、火の玉のような大きな星が降ってきて、邸内の梅の木の枝に掛かった。それを目にした大勢の兵士たちは、驚いて庭にひれ伏し、ただ震えるばかりであったという。現在、本間家の屋敷があった依知郷にこの星下りの奇端の霊蹟を伝える寺が3ヶ所ある。

◆丹沢鍋割山山行(2015.12.19(土);日帰り)の写真アルバム、山行記録、山行計画書を掲載。

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2015.12.19(土)朝、メンバ13名が、小田急線渋沢駅前に集合。タクシに分乗して、表丹沢県民の森へ。林道を歩いて二股から鍋割山登山道に入り、途中、ミズヒ大滝に立ち寄ってから、後沢乗越を経由し、歩き始めて3時間強を要して、鍋割山頂上に登りついた。鍋割山荘名物の鍋焼きうどんがどうしても食べたいというメンバが5人。その望みを叶えるため、途中からSLが先行して、鍋焼きうどんを注文。本隊が登りついた時には丁度鍋焼うどんが出来上がり、タイムロスなく、13名全員揃って昼食を摂ることができた。この日,気温は低かったが、冬晴れの好天で、雄大な富士山と白峰が連なる南アルプスの山並み、相模湾に突き出した真鶴半島、大海原に浮かぶ初島や伊豆大島等、360度の大展望を楽しんだ。日暮れの早いこの時期、塔ノ岳登頂を割愛して大倉尾根を下山する予定であったが、予定より早い時間に金冷しに到着できたので、パ-ティを2手に分け、塔ノ岳まで足を延ばしたいと希望するメンバ10名で、塔ノ岳頂上を踏み、横浜や東京都心の高層ビル群やスカイツリ-、関東平野に広がる街並み等を存分に眺めてから、大倉尾根を下山。それでも日没30分前の4:07PMに大倉登山口に到着できた。予定外の塔ノ岳立ち寄りを含め、本日のコース(累積標高差:登り約1250m/下り約1400m、歩行距離約15km)に要した所要時間は約8時間であった。

◆湯河原幕山・南郷山/岩戸山・十国峠忘年山行(2015.12.12(土)-13(日);1泊2日)の写真アルバム、山行記録、山行計画書を掲載。

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2015.12.12(土)朝、メンバ17名がJR東海道線湯河原駅前に集合。路線バスに乗車して、幕山公園手前の鍛冶屋バス停で下車。幕山登山口となる幕山公園まで、たわわに実るミカン畑を眺めながら約30分ののんびり歩きを楽しんだ後、まだ蕾の堅い梅林の中を、ロッククライミングを楽しむクライマ-を眺めながら、1時間20分登り、幕山頂上に到着。早速、持参のお弁当を広げてランチを楽しんだ。今日は気持ちよい青空が広がり、相模湾に突き出た真鶴半島や伊豆半島に続く海岸線、相模湾に浮かぶ初島や伊豆大島の大展望を存分に楽しむことができた。石橋山の合戦に敗れ、敗走途中の源頼朝が喉を潤し、水鏡で髪を結い直して自害を思いとどまったという故事で有名な自鑑水を経由して、南郷山山頂に登って、眼下に広がる雄大な相模湾の景観を楽しんだ後、曽我五郎を祀る五郎神社に下山し、本日の約5時間の陽だまりハイキングを終了。本日のメインイベントである忘年会会場の湯河原温泉「万葉荘」に向かう。万葉荘直行のメンバ1名を加え、6pmから恒例の忘年会を開催。日本百名山を完登したメンバへの登頂達成認定書を授与して、お祝いしたのち、ゲーム等で大いに盛り上がり、親睦を深めあった。翌朝は生憎の雨で、予定していた「岩戸山から十国峠」へのハイキングは中止。12月定例会を開催したのち、現地解散とした。

◆陣馬山・景信山・高尾山山行(2015.11.28(土);日帰り)の写真アルバム、山行記録、山行計画書を掲載。

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2015.11.28(土)朝、メンバ6名がJR高尾駅に集合。路線バスで陣馬山登山口の陣馬高原下バス停へ。気温4℃と少々寒いが冬晴れの絶好のハイキング日和。標高差525mの登りを1時間25分を要して標高855mの陣馬山頂上に登り着くと、富士山をはじめ、丹沢山塊や奥多摩の山並み等の360度の大展望が広がり、陣馬山のシンボル白馬像と名残の紅葉が我々を迎えてくれた。今日は陣馬山から景信山を経て高尾山に至る歩行距離約19km、行動時間約8時間のロングコ-スハイキング。普段よりハイペースで、主稜線を外さないように歩いた。実はこのコ-スには、あちこちにまき道と思しき踏み跡があり、かって、ピークを踏まずに楽をしようと、まき道と思って安易に踏み跡に入って、とんだ時間ロスをしてしまったという苦い経験をした。ほぼ中間地点の景信山頂上で1時間のランチタイム。旧甲州街道の難所小仏峠から小仏城山に登り返し、さらに尾根を辿って高尾山頂上に達すると、登山者が溢れかえり、頂上標識の前で写真を撮影するにも10分待ちの有様。数年前にミシュランガイドで★★★に選ばれてから、高尾山の人気と表高尾とも称される京王高尾山口駅~薬王院~高尾山山頂付近の混雑ぶりは尋常ではない。日暮れが早いこの時期、ケ-ブルカ-を利用して下山する予定にしていたが、ケ-ブルカ-乗車待ちの観光客の行列を見て、即座にハイカ-の比較的少ない琵琶滝コ-スを歩いて下山することに変更し、4:30PMの日没直前のまだなんとか明るいうちに高尾山口に無事下山できた。

◆箱根屏風山・箱根旧街道ハイキング(2015.12.5(土);日帰り)の写真アルバム、実行記録、実施計画書を掲載。

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2015.12.5(土)朝、メンバ7名が小田原駅前バス停に集合。路線バスに乗車し、箱根関所跡に向かう。箱根の紅葉には少々遅い時季だが、箱根湯本から宮ノ下辺りまで、車中から見事な紅葉が楽しめた。屏風山登山口の道標にしたがって登山道に入ると、ハコネタケが密生する急斜面を切開いて作られた大きな段差の歩きにくい階段状の急坂が続く。標高差約180mの急斜面を30分余りがんばって登ると、屏風山から南に延びる展望のよい尾根の一角に飛び出す。今日は文句なしの冬晴れの好天。芦ノ湖の対岸に聳える箱根外輪山の上に、しっかり雪化粧をした富士山がくっきりと姿を見せていた。登りついた標高948mの屏風山頂上に人影はなく、メンバが調理した熱々のお汁粉で身体を温めてから、箱根旧街道に残る甘酒茶屋まで下山し、名物のみそおでんや磯部餅を味わい、持参のお弁当を広げてゆっくり昼食を楽しんだ。ここから旧箱根街道の石畳を登って、芦ノ湖畔元箱根を経て、旧街道杉並木を辿って箱根関所に至る約1里の道のりを、往時の旅人の苦労をしのびながら、約1時間半のウォ-キングを楽しんだ。最後は関所手前の箱根恩賜公園の高台に登って、芦ノ湖の景色とその先に雄大に聳える富士山の雄姿を眺めて、本日の5時間余のハイキングを終了した。